2017/09/19

西荻窪で写真展





ちょっと連絡が遅くなりましたが、10月3日より、西荻窪の信愛書店さんで、友人の勝又喜人君とアラスカの写真展を行うことになりました。

自分の写真は、こちらやfacebookで紹介している通りのクジラ猟の写真なので、どこかで見たような写真ばかりになると思います。

勝又君は、1990年代のアラスカ北極圏のインディアンの集落の写真を展示します。あまり有名な町ではなく、猟に出る際、犬ぞりを使っていた最後の時期なので、とても貴重な写真だと思います。

10月8日(日)は16時からお話会を開催します。写真の解説、動画などもお見せできると思います。
 10月9日(月、祝日)は、アラスカに関わる絵本の朗読会です。
どちらも無料。予約も不要です。

お時間ありましたら、ぜひ、おいでください。

2017/08/13

かぐや姫北へ

以下のお話は岡千曲氏の著書「北のオントロギー」に掲載された「月の男」というイヌピアックエスキモーの昔話を要約したものです。
ところどころ、唐突と思われる部分もありますが、原文に忠実に要約しています(エスキモーの昔話には、結構、唐突な部分があります)。

この話は、中国で作られた「かぐや姫」が、何らかの形でアラスカへ伝播したのではないかと、物語の共通性、中国の埋葬方法とこの物語が記録された付近のアラスカの遺跡の状況などから検証しています。
例えば
・月との往来をモチーフにしたエスキモーの説話はほとんどない。
・どちらも満月の日が移動の日となっている。
・月の人間との結婚(かぐや姫は結婚していないが)
・小さな赤ん坊が急激に成長する
・何らかの形で、育ててくれた家族に富をもたらす
・竹(固い殻)の中から生まれたかぐや姫と、固い殻に閉じ込められ、解放される女性
以上、偶然の一致にしては、共通項が多すぎるのではないか。

 (主人公の「タケナ」はまさに「竹な」だが、中国語で「竹」は「タケ」とは読まないので、これは偶然では?)

遺跡に関しては、古代中国では、戦国時代頃から遺体を埋葬する際、眼窩など遺体の開口部を玉(ぎょく)で塞ぐ埋葬儀礼があった。
この物語が収集された場所からさほど遠くないポイントホープのイピウタック遺跡からは、上記と同様、眼窩や口、鼻などの開口部をセイウチの牙で作られた義眼などで塞がれた遺骨が出土している。
こういった埋葬方法は、アラスカでは他に類を見ないものであり、これも物語同様、中国から伝播した可能性がある。

などです。

上記義眼などで開口部を塞がれた遺骨については、以下のサイトに写真があります。
イピウタック文化について(英語)

さらに詳しく知りたい方は「北のオントロギー(岡千曲 国書刊行会)」をお読みください 。

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月の男 
昔々、アラスカのベーリング海峡沿いの村にタケナという名の美しくて気立ての良い娘が両親と暮らしておりました。
ある日タケナは、母親とサーモンベリーを摘みに出かけました。母親はバケツ一杯摘むと先に家に帰ってしまいましたが、タケナは一人で摘み続けました。ふとツンドラの苔の上を見ると、そこには自分の指よりも小さな赤ん坊がいるではないですか。彼女は赤ん坊をコケに包んで家に連れ帰りました。
タケナは赤ん坊のためにリスの脚の毛皮でパーキー(※1)を作ってあげました。それを見た父親は「赤ん坊のことが好きなら、我が子のように育てなさい」と言いました。彼女はこの子の母親になりたいと思いました。
翌朝、赤ん坊は大きくなり、昨日作ったパーキーでは脚を覆う程度にしかならなかったので、今度はリスの全身の毛皮でパーキーを作ってあげました。この後、赤ん坊は成長を続けたので、毎日のように服を作ってあげなくてはなりませんでした。
ソヤスヴィク(初雪の後の最初の満月)がやってきた頃、タケナは考え事が多くなり、なかなか寝られなくなってしまいました。ある晩、赤ん坊とともに外へ出て海岸を散歩していると、硬い雪の上を走るそりの音が聞こえてきました。それは月の方から聞こえてくるようです。音する方の空を見上げると、犬ぞりが月を横切っていくのが見えます。やがて犬ぞりはは近づいてきて、彼女の前に着陸しました。
そりに乗っていたのは、シフナキアトという名前の男で、月にある家からやってきたのだそうです。タケナは彼を家に連れ帰り手厚くもてなしました。
シフナキアトは、良い母親が見つかるように自分の息子を地上に投げ下ろし、その息子を探しに来たのだと言います。
タケナは赤ん坊をシフナキアトに見せ、我が子のように育てていると彼に言いました。彼は赤ん坊を調べて自分の息子であることを確認しました。そして、あなたはこの子の素晴らしい母親なので、自分と結婚してくれと言いました。
その晩タケナは、彼の求婚を受け入れた印に、トーメアク(選りすぐりの食べ物でいっぱいの大皿)から、その1片を彼の口に運びました。一方、シフナキアトは、そりに積んできた見事な毛皮を彼女の両親に贈りました。
その冬、シフナキアトは家族のために狩をし、大量の獲物をいとも簡単に仕留めたので、娘は素晴らしい猟師と結婚したと両親は大喜びしました。
翌年のソヤスヴィクの頃、シフナキアトは月の家に帰る準備を始めました。もちろん妻子とも一緒です。両親には翌年には訪ねてくることを約束しました。
ある満月の晩、シフナキアトは月に向かって出発しました。その際、妻にそりが止まるまでは決して地上を見下ろさないよう強く言いましたが、彼女が気がつく間もなくそりは月に到着しました。
月に着いたタケナは喉が渇いたので、水を汲んできてくれるよう夫にお願いしました。
夫が水を汲みに行ってしまうと、どこからともなく奇妙な女が現れました。彼女はシフナキアトの本当の妻だと言います。そしてタケナに着ているものを取り替えようと言います。タケナは嫌がったのですが、無理やり取り替えられてしまいました。
服を取り替えられたタケナは地面に倒れてしまい、体に虫が入り込んでしまいました。
水を持って戻って来たシフナキアトは、そりに乗っていたタケナが、前妻と入れ替わってしまっているとは気がつきません。赤ん坊は彼女が自分の大好きな母親ではないとわかっているのか泣き始めましたが、彼は旅を続けます。
程なくして「戻ってきて。その女はあなたの妻ではないの」とタケナが叫ぶ声が聞こえてきます。彼はそりを止めて「誰かが叫んだようだが」と言いますが、女は「ワタリガラスが鳴いているのよ」と言います。先を進むと再び叫び声。女は「キツネが吠えているのよ」と言います。
タケナは死人のよう倒れています。そこへカリブーの群れがやってきました。カリブーに踏まれれば自分にまとわりついている殻が割れるかもしれないと彼女は思いましたが、カリブーは通り過ぎてしまいました。
そこへ彼女の叫び声を聞いたキツネの毛皮のパーキーを着た小さな男がやってきました。男は、かつて地上を訪れた際、彼女の父親に親切にしてもらったので、今度はお前を助けてあげようと言い、拳で彼女を閉じ込めている殻を割りました。
彼女は元どおりになりましたが、着るものがありません。男は、向こうにある泥に望みのものを描けば、描いたものは何でも手に入ると言います。彼女は言われたとおりにして、服、家、そり、そりを引くトナカイを手に入れました。
一方、シフナキアトは家に帰り着き、朝の光で女が残忍な前妻であることに気がつきました。
シフナキアトは、自分の家にいた二人の孤児に外で遊んでくるように言います。遊んでいた二人の孤児は、偶然タケナの家にたどり着きました。彼女は二人に赤ん坊を連れてくるように言い、赤ん坊と再会できました。
二人の孤児にタケナは「私に会ったことは秘密だよ」というけれど、家に帰った二人は、ついシフナキアトに喋ってしまいます。
シフナキアトは、家の前に薪を積み上げてから家に入り、頭にいるシラミ(※2)をとるからと前妻の頭をなでています。すると彼女は気持ちよくなって寝てしまいます。
彼は薪に火をつけ、前妻を家から連れ出して薪の中へ投げ込みました。
シフナキアトはタケナの元を訪れ、彼女と赤ん坊を家に連れ帰ります。
三ヶ月後、彼女は素敵な息子を生み、家族で地上の両親の家を訪問しました。

※1 原文では「パルカ」で、フード付きの毛皮のジャケットのこと。アラスカ北西部では「パーキー」と呼ぶことが一般的なので「パーキー」としました
※2 原文では「koomuck(意味不明)」となっていますが、ポイントホープで「koomuck(クマック)」は「シラミ」のことなので、シラミとしました。

2017/05/14

働け

猟に出て間もなく、1頭目の大きなクジラが捕れて徹夜決定。そして朝方、2頭目も捕れ、いったいいつ帰れるのか全く見当もつかなくなる。
霧の中、汚れ作業用の服に着替えに家に帰ったら、メガネが凍りついて前が見えなくなる。
こんな状態なので裸眼の方がよく見える。よく見えるけれどよく見えないので、スピードを出しているとトレイルの穴に落ちそうで怖い。しかしある程度速度を出していないと、氷の山は登れないのでしょうがない。
ようやく1頭目が引き上がり、2頭目に取り掛かる。さすがにみんな疲れていて、引き上げには、いつもより確実に時間がかかっている。

引き上げ終わると、解体が始まり、着ているものは、あっという間に血まみれ脂まみれになる。
解体が進み内臓が開かれると、辺りに異臭が広がる。その横で、息を切らせながら、眠くてクラクラしながら大きなナイフを振り回しいてる。
途中三十分くらい昼寝したら、かなり楽にはなった。それでも身体は重い。
解体が終わりに近づく。血のたまった池の中、不安定な脂肪の塊の上、ふわふわと拠り所のない内臓の上に立ち、最後のマクタックや肉を切り出していく。

家に帰りついたのは結局深夜12時。一体何時間作業してたんだろう。
まい太郎がテレビを見ながら、何か食っているのを横から手を出してつまみ食いしていると
「ねえ、手洗ってきたら?」
と言われたので改めて手を見れば、血まみれのまま。
手だけ洗って、そのまま、ぶっ倒れるように寝てしまい、翌日の昼過ぎ、トイレに行きたくて目を覚まし、鏡を見たらホクロが増えている。返り血だ。顔も洗わず寝てしまったのだった。
昨日のクジラからのシェア、ニギャックをクルーの人数分に均等に切り分けに海岸まで。
一人当たり10キロ以上の肉とマクタック。今度はその肉を茹でるために、冷凍保存するために、処理をしなくてはならない。

見上げれば、白夜の澄んだ空、目の前には青白い色をした氷原。陸に目をやると、クジラの骨が空に向かって伸びている。
どれも日本では珍しいからとても絵になるように見える。
地元の人間にとっては、普段から見慣れたありふれた光景。

クジラの骨で囲まれた墓地も部外者には珍しいものではあるけれど、卒都婆が立ち並ぶ日本の墓地だって、外国人から見れば珍しいものだと思う。
珍しいからって、ここへ眠る人たちに挨拶もせず墓地内を走り回りながら写真を撮りまくるのは、亡くなった人に対する敬意があるのか疑問に思えてしまう。
自分だって墓地の写真を撮っているけれど、写真を撮る前に、必ず帽子を脱いで挨拶している。ここへ来るたびにここへ眠る友だちたちにも挨拶している。

過酷なで血まみれ脂まみれの労働と後始末。猟が終わった時点で始まる次の猟の準備。時に酒を飲んで(違法です)喧嘩したり、いがみ合ったり。マリファナ吸って(合法です)笑ったり、綺麗ごとばかりではなく、普通に生きている人たちがこの町にはいる。

綺麗なところだけを引っ張り出し、どこかで聞いたような綺麗な言葉を添えてみれば、どんな場所も綺麗な詩的な土地になる。
写真家の人、通りすがりの人の綺麗な写真や、綺麗な文章は、多分この町の、あるいは猟の本質の1割程度しか示していないのではなかろうか。
外側の綺麗な包み紙に惑わされてはいけない。

小さなコミュニティ故、通りすがりの人間はとても目立つ。見慣れない格好をした人がカメラを持ってウロウロしているので尚更だ。
そして、通りすがりの人間は、その場にいなくても目立つのだ。
常に、見られていると思ったほうがいい。
だから、なるべく進んで動くようにしている。
それでもよく
「シンゴ、動け!」
と怒鳴られるが。

自戒を込めて。

2017/04/13

「水産振興」発行されました。

1年ほど前、東京水産振興会の方から「ポイントホープのことについて自由に書いていいから、いかが?」と、お話をいただき、あれこれ書いていると際限がなくなりそうなので、クジラ猟に絞って、書き始めたのがアラスカにいる頃で、その後出張中に推敲を重ね、さあできたと思ったら、文字数が全然足りなくて、さらに書き足して原稿ができたのが年末。その後、校正を何度も繰り返し、4月の頭にようやく形となりました。

東京水産振興会の栗原さんには、大変お世話になりました。
また、栗原さんに僕のことを紹介してくださった編集者の遠藤成さんにも、大変感謝しております。

 アラスカ、ポイントホープへ通うようになったきっかけ、クジラの捕り方、切り分け方、食べ方などなど、みなさんによく聞かれることは、ほぼ網羅させたつもり。
残念ながら非売品ですが、PDFが公開されるそうなので、読んでみたい方は、そちらをご覧になってみてください(4/13現在、未公開 公開されました)。

水産振興

ところでこの「水産振興」、どこかで聞いたことある名前だし、表紙の色合いも見覚えがあるな、と思っていたら、以前勤めていた会社の本棚に、バックナンバーがずらっと並んでいたのでした(水産関係の業務をたくさんやっていたので)。
当時はまさか自分が書くことになるとは考えてもみなかったので、手にも取りませんでしたが。

2017/04/01

新聞連載始めました(ウソですよ)

この間年が明けたと思ったら、あっという間に4月ですね。

この冬、奥日光へクロスカントリースキーへ出かけた帰りの電車、たまたま隣に座ったのは栃木県の地方紙「下毛新聞」の新聞記者の方。
世間話をするうちに、こちらのアラスカでの生活に興味を持っていただき、3月27日(月)朝刊から、週に1回、毎月曜日に連載をさせてもらうこととなりました。 

ご存知の方も多いとは思いますが、僕の出身は群馬県です。地元群馬の地方紙「上毛新聞」で連載を持ちたかった、というのが本音ですが、奥日光は大好きで、今まで通算でも50回以上は通っている場所。ならばその大好きな奥日光のある栃木県の新聞に貢献しても悪くはないな、ということで今回の連載となりました。

連載開始にあたり、中禅寺湖畔に庵を構える南流の書家であり、下毛新聞の題字も書いておられる南家蘆玖斎先生に題字をお願いすることとなりました。
 
題字のイメージを掴んでもらうため、先生にアラスカでの話をしたところ、こんなタイトルをつけられた挙句、妙におどろおどろしい題字にされてしまいましたが、書いていることは「紀行」とは言い難いので、これで良いのかなと。ちなみに「ツンドラ気候」にもかけているそうです。
ちなみに南家先生は、筆だけではなく、様々な素材を用いて文字を書くことを極めている方で、今回は「割り箸」を使って書かれたそうです。

第1回の掲載前にお知らせすべきだったのですが、年度末でバタバタしていて、本日になってしまいました。
とりあえず第1回のコピー(というか写真ですね)を載せておきます。
第2回目の「ツンドラ奇行」はカリブー猟について書いていますので、お楽しみに。
下毛新聞の購読については、以下をご参照ください。

以上の記事は4月1日に書かれた、エイプリルフールの記事でございます。
「下毛新聞」という新聞はございません。上記サイトの「underhair.com」というサイトも偽サイトでございます。

2017/01/01

本年もよろしくお願いいたします。

2017年、新しい年が始まりました。
2015、2016年の2年間で、春の猟期の氷の薄さ、異様な暖かさ、季節進行の早さが際立ってきています。年が明けてもポイントホープ周辺の北極海はまともに結氷していない状態だと、果たして今年の猟期はどうなるのだろうかと、不安だらけになります。
ただ、どんな状態であれ、そこに人は生きているし、自分も生きているし、何かしらやるべきことはあるはず。
 面白くない世の中をいかに面白く乗り切っていくか。そんなことを考える年の初めでございます。
相変わらずの遅々たる更新の当ブログですが、今年もよろしくお願い致します。